太田初夏通信ーvol.41

いつも妻の背中を追いかけている。一歩先を行く姿を後から追っかけている。写真を撮影している時には、自由奔放にどんなものに対しても向き合い、被写体に敬意を持ち、丁寧に撮影している。そんな姿は見習わないといけないなと感じる。いつまでも時間を忘れて向き合うので、私は少し距離を置いたところから、見守っている。
太田初夏 2023.09.24
誰でも

※日記※

9月18日(月)

忘れられないことがたくさんある。飛び込んで死のうと思って見つめた深い河の淵。片思いに身を焦がして病院に入院したこと。家出して冷えた路地で段ボールにくるまり寝たこと・・・etc。私の忘れたくて忘れられない事は、スパイスとしてずっとあるのかもしれない。辛いもの、塩っぱいもの、苦いものは、現実を美味しく仕立てるスパイスに違いない。なくなっちゃうとたちまち、ぬけた味になるんだろうな。だから、うまく使っていきたい。  

9月19日(火)

会社での私の働き方として、人のやらない仕事、忙しくて誰もできない仕事に携わり、問題を解決したり、役割を果たすというところがある。急ぎの仕事や突然の依頼という形のものが多い。いつもフラットで、どんなものが来てもOKというスタイルでいなくてはならない。私の課題は課題として、しっかり胸に定め置いて、そういう中でも期日までに、次の人が気持ちよく受け取ることのできる形で受け渡すことが大事。正確性や速さを問われる仕事なので、広く浅く、広く時に深く、自分一人で抱え込まないようにして、チェック体制や周りの人を頼ることも大切になってくる。役割をしっかりと果たせる環境を整えながら、前向きにやっていきたい。

9月20日(水)

自分の持っている特性を、時代にマッチさせて、周りの人との距離感や接し方を工夫させて、コツコツと乗り切るスタイルはとても大事だと思っている。それを誰かのせいにしたり、時代のせいにしたりすることでは、何もくぐり抜けることはできない。いつか想いが形になる時が来る。そう想っていることの力強さや逞しさから、私たちはいろいろなものを得ることができる。そして、いろいろなものを失うのだ。何を得て、何を失ったか精査して考えて、失ってきたものばかり数えていては、ただ駄々をこねているだけだ。時代はどんどん移り変わっているし、銀河系や太陽系ですら、どんどん場所を変えて移動していると言う。身近な小さな変化に耳を澄まし、声を聴きながら生活したい。それが私を活かしてきた原動力になって、夢や希望を形に変えてくれたのだから。

9月21日(木)

減薬の影響もあってか、少し寝不足気味で、頭の奥が少し痛かった。夏の疲れや暑さの疲れも少し出ているように感じる。こういう時にはしっかりと睡眠をとることが大切。横になるだけでも違ってくるので、上手に休息をとりながら、乗り切りたい。体もじきに慣れてきて、楽になってくると思う。

9月22日(金)

CO-OPで見繕ってきたコスモスやケイトウが中心の秋の花束を、格安の値段で購入してきた。この値段でこんなにも!という驚きの価格で、申し訳ない気持ちすら感じたが、とてもお買い得で、朝摘みと思わせる活きのいい花たちだった。妻が丁寧に飾ってくれて、家の中が一気に秋になった気がした。

9月23日(土)

久しぶりに妻とイオンモールに行った。祭日ということもあって、ショッピングモール内は賑わっていて、活気のある様相。普段は近所で買い物を済ませているが、ショッピングモールでしか買えないものを中心に買い物を済ませる。カルディでセール品のパスタやオリーブオイルを買ったり、私のズボンや妻の髪とめ用のバンドを買ったりした。好きなものを好きなだけという生活よりは、持っている金額の中でやりくりしながら、相談しながら購入する方が楽しい。

9月24日(日)

早朝、妻と撮影散歩に出かけた。カメラを持って、界隈の植物や風景や鳥たちを撮影していく。一時間ほどの散歩中に120枚ほど写真を撮影した。犬の散歩をする方、ウォーキングする方とあいさつしたり、声かけたりの気持ちいいひと時。帰宅してからはサンドイッチをつつきながら、撮影した写真の編集をしながら、感想を話し合った。妻の撮影する写真の面白さに惹かれながら、私の感性も磨かれている。

※作品(詩・散文)※

『限られた命』

好きなものを好きなだけというよりは、持っている限りあるものから持ち寄って、やりくりしながら、相談しながら獲得する方が豊かで、幸せを感じる。

限りある時間の中で生きている私たちは、そういうことに幸せを感じられるようにできているのかもしれない。

『ひと筋の気泡』

深い沼からひと筋の気泡が立ち昇っていた。魚がいるのかな?こんな汚れた沼にでも魚は棲んでいるんだと木こりは横目で通り過ぎようとしたが、気泡からは何かメッセージ性のようなものを感じた。居ても立っても居られなくなって、異臭すら漂う沼に飛び込んで深く潜った。服やズボンや靴やら全て水分を含み邪魔だったが、木こりの持ち込んだ気泡と立ち昇ってくる気泡が混ざらないように、慎重に潜った。かなり深くて息絶え絶えになりながら、底に着いた。ロープでぐるぐるに巻かれて、人の形をした重たそうな汚れた物体から気泡が出ていた。木こりは担ぎ上げて、汚れた水を飲みながら浮かび上がって、岸まで運んだ。

ナイフで腐りかけたロープを切っていくと、中から悲しみと寂しさをまとった顔のお姫様が出てきた。意識を失っていて、どこの国のお姫様か分からなかったが、私の住処に連れて帰って、丁重に身体を拭き、介抱して寝かせて、食事を作り、口元まで運んだ。ほとんど喋ることができないほどショックを受けていたし、悲痛な顔でしたが、まるまる三年ほどお世話していくうちに、笑顔になり、柔和な顔になって行った。あなたに見つけてもらえて良かった。そう話して、心を寄せてくれた。

三年過ぎしばらくして話を聞きつけて、娘を取り戻しに来た父でもある王様は何度もお礼を言って、お姫様を引き取って行った。お礼の品は受け取らなかった。噂に聞いたことには、美男子で誰からも慕われている隣国の若き王に妃として嫁いだが、幸せにはしてもらえなかったそうな。挙げ句の果てに、沼に沈められたところで、絶命寸前のところを助けたのが、木こりだった。木こりは炭を焼いたり、その日暮らしの貧しい生活でしたが、心は豊かで炭で絵を描いたり、詩を詠んだり過ごしていた。

年齢を重ねて、耳寄りのない故に一人で死んだが、お姫様は木こりを丁重に葬り、何度生まれ変わっても、連れ添い、仲良く暮らせる一生を過ごしているそうだ。  

※食卓※

9月19日 夕食

焼きそば・豆腐とわかめの味噌汁

冷蔵庫の中を見たら、焼きそばソースが残り少なくて、鰹節を多くかけたり、海苔をしっかりかけたりして、ごまかした。家庭料理はあるものを使って、美味しく仕上げるということが大切なので、上手に代用したり工夫することが楽しみの一つ。愛食している太麺を使っていて、もちもち感があって、美味しい。

9月20日 夕食

芋炊き

芋炊きをしようと思って、里芋を始め、食材を用意したのだが、いろいろ食材を鍋に入れて調理して味付けを終えた時点で、主役である里芋を入れるのを忘れてしまっていて、妻と共に爆笑したのでした。里芋の入っていない芋炊き。本来ならがっかりなのだが、それはそれでスープも澄んでいて、美味しい料理でした。最後は素麺を入れて、だし汁まで美味しく完食しました。

9月21日 夕食

プルコギ・煮豆・冷奴

のんびりゆるゆるとした時間を過ごしながら頂いた。プルコギは野菜もたっぷり食べることができるので、とてもいいメニューだと思う。新たに何か買うのではなくて、冷蔵庫の中にある野菜を刻んで入れるといいので、本当に助かるし美味しい。

9月23日 夕食

茄子と挽き肉のトマトチーズ煮

妻からチーズを美味しく食べられるメニューをとのリクエストがあったので、麻婆茄子を作るために買っておいた茄子を、ホールトマトと挽き肉と一緒に煮込んで、チーズをふんだんにかけて、美味しく頂いた。

9月24日 朝食

サンドイッチ(鶏肉・たまごとゴーヤ)

散歩から帰ってきて、手際よく作った。二人ともお腹ペコペコでしたし、下準備して出かけていたので良かった。鶏肉はコンビニのバター醤油味のものを活用。二人とも気に入っている味付けのものなので、重宝している。

※詩や小説や曲の感想※

『別れの曲 / 仲道郁代』

こんな風に情感を込めて、豊かな表情で演奏している姿を見て、芸術はその人の人生をかけて、詠んだり、演奏したり、描いたりしているのだと改めて感じる。命を賭して、芸術に情熱を注ぎこむ。「別れの曲」に息吹が吹き込まれて、聴いている私は自然に涙がこぼれてくる。美しい旋律が胸に響いてくる。

※編集後記※

いつも妻の背中を追いかけている。一歩先を行く姿を後から追っかけている。写真を撮影している時には、自由奔放にどんなものに対しても向き合い、被写体に敬意を持ち、丁寧に撮影している。そんな姿は見習わないといけないなと感じる。いつまでも時間を忘れて向き合うので、私は少し距離を置いたところから、見守っている。

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